指導員のIさんがある新聞記事を紹介してくれました。

「重度の自閉症と診断され、重い知的障害もあり、言葉は理解出来ない」と思われていた特別支援学校高等部に通う少年(内田博仁さん、15才)が北九州市で開催された文学賞・コンクールに入賞したという記事です。

言葉を持たないと思われていた彼がどのようにして文章を書くことが出来たのか?
彼が言葉を理解しているのではないかと気づいたのは彼のお母さん。2歳半の頃、知育玩具の「ウー、ウー、何の音かな?」という問にお母さんの指を使ってパトカーのボタンを押したという出来事があり、それから親子での勉強と訓練の日々が始まったという。
またお母さんがパソコンでキーボード入力する様子を見ている内に字の配列などを憶えて頭の中で物語をつくるようになった。初めは1つの単語の入力から始まってやがて文章になり、物語になっていった。
昨年は北九州市の松本清張記念館が開いた読書感想文コンクールで「或る『小倉日記』伝」を題材にした作文が最優秀賞を受賞した。

「車はどれ?と聞かれても、車を指さすことが出来ない。そうすると分からないのだと判断される。車が分からないわけないじゃないか、間違った判断をされたことに落胆し、体と心の制御がなくなる」
文字を理解出来ないと周囲に思われていた時は頭と身体をつなぐ重要なコードが切れてしまっているような感覚だという。

言葉がないお子さんに接すると言葉の意味をどこまで理解しているか判断に迷い、時には知的障害があって言葉や文字の理解は難しいと決め込んでしまうこともあります。
博仁さんとお母さんの勉強と訓練の日々は生半可なものではありません。また、自閉症も自分の身体のコントロールも難しい障害です。
博仁さんの「たとえ障害があってもどんな子も充実した教育を受けることが出来る社会を作り出すことが夢」という思いに深く共感します。

管理者兼児童発達支援管理責任者
福喜多明子