2013年11月24日、本年度3回目、通算38回目の自立支援講座が東京・北区の滝野川文化センター(滝野川会館内)で開かれました。今回のテーマは「知的障害者の男女交際と結婚への支援」です。講師は東京都心身障害者福祉センターの山本良典氏。過去の山本氏の講演会も好評だったため、今回も空席を見つけるのが大変なくらいの盛況ぶりでした。
blog131124-01.jpg講演会は午後2時開始。はじめに「結婚します~ある知的障害者の場合」のビデオを観ました。知的障害を持つ男女が、出会い、結婚を決意し、仲間の障害者とともに結婚式の準備をし、当日に至り、さらにその後日の様子という展開でした。知的障害を抱えている人々も、みんなと同じように結婚をして、子供を授かりたいと思っていることを筆者は再認識させられました。
ビデオに出てきたカップルは幸せな結婚生活を送っているようです。それは地域の人々や周りの支えがあるからこそです。結婚式を挙げることは知的障害者にとって強い思いがあるとのコメントがビデオの中にありました。結婚式を挙げれば、自分たちが注目され、社会の一員であるという意識が強くなるからだそうです。知的障害を持っている方々の結婚に対する思い知ることができました。
blog131124-02.jpgビデオを見終わり、5分程度の休憩を挟んだ後に、山本氏の講演です。山本氏が何度も強調したのは、「障害は本人の問題ではなく、社会環境の問題」です。障害は本人に帰属するのではなく、社会環境の整備が遅れている、もしくは配慮されなかった産物であるということです。環境、サポートが整えば、障害を持った人たちが結婚をして充分に生活していけます。
支援の基本は、当事者主体を心がけること。本人たちの意思に寄り添い、地域で支えていくことが必要です。知的障害を持っている人々も当然のようにデートをしたい、結婚をしたいという気持ちを持っています。その願いをかなえるためには周りのサポートが必要です。また、本人の発言の機会を重んじることが大切です。
かつては優生政策というものが日本や他国で行われていました。知的障害の原因は遺伝によるとする考えが根強くありました。そこで、知的障害者が子供を生まないように不妊手術をして結婚させるということもありました。知的障害者は施設に隔離されたり、不妊手術をしないと結婚が認められなかったりしていたようです。日本でも障害者施設で知的障害の女性が生理が近づくと精神状態が不安定になるという理由で、本人の了解もなく子宮を摘出されていたことがわかりました。これは障害者への権利侵害です。優生保護法は平成8年に母体保護法に改正され、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」という条文は削除されましたが、優生学的な考えがなくなっているわけではありません。
blog131124-03.jpg現在、新型出生前診断というものがあります。出産をする前に妊婦の血液だけでダウン症など胎児の染色体異常を判定できるものです。最近、その新型出生前診断で陽性の結果が出たうちの9割は中絶をしてしまうとの報道がありました。
知的障害のある方が「おなかのなかの赤ちゃんに障害があるとわかると生まれないようにする出生前診断をやめてほしい。私たちは障害のある人が社会からいなくなればよいという考え方に反対する。その考え方は私たちを痛めつける」と発言しています。
筆者はこの話を聞いて、出生前診断についてはもっと議論が必要だと感じました。出生診断をするのであれば、その親や本人のケアが必要です。
山本氏は「知的障害のある人に私達は生かされている」と話しました。私たちは知的障害者を生かしてあげるのではなく、知的障害を持っている方によって私たちが生きていられるということです。
そして、「失敗を恐れず」、「知的障害者の性の問題を否定しない」、「知的障害者の問題はみんなの問題」、という言葉で山本氏の講演は終わりました。
blog131124-04.jpg続いて質疑応答に入りました。
まず「コミュニケーションが苦手な特性を持った人、重度な障害を持った人、異性に興味がわかない子供などが結婚できる可能性があるのか」という質問に、「結婚できる可能性は全員が持っている」と山本氏から回答がありました。どんな障害をもっていようと、同じ人間なのだから結婚できる可能性は平等に持っているということだと筆者は思います。その可能性をつぶさず結婚できる環境作りが必須です。また「障害者の結婚でトラブルが起こった場合はどこで相談できるのか」という質問がありました。山本氏は、練馬区の光が丘にある教育相談室を例として挙げました。悩みは抱えずに、誰かに話すだけでも軽くなるそうです。
筆者は、講演会を通して、どんな障害を持っていようと、すべての人々は同じ権利と気持ちを持っており、それらを大切にするために、環境整備や周りの人々の理解などが必要だと思いました。私たち一人ひとりが多様な特性をもった人々を理解し、自分にできることを精一杯果たしていく必要があります。そのような人々が集まれば、環境整備も進んでいくと思います。(早大院 吉野翔子)